任侠と暴力の狭間に生きた若杉寛という男
2012.08.02
広能昌三菅原文太が唯一「兄貴」と慕うのが、第一作に登場する若杉寛梅宮辰夫だ。
シリーズ全体を通して、広能が最も信頼した人物がこの若杉寛で、これほど徹底してイイ男として描かれているキャラクターは他にはいない。
人としてイイ人物は他にもいるが、それなりのチカラを持っていて、これだけ出番が多くて、最初から最後までその男ぶりが否定されていないのは若杉だけである。
ということで、若杉寛について考えてみる。
若杉寛の登場場面は、映画の始まりとほぼ同時。
終戦の翌年の闇市シーンで、土居組の若頭として。
土居組の縄張り内でカスリを集める、愚連隊の上田透伊吹吾郎達を追いかけ、ヤキを入れる。
自らが長ドスを持ち、上田の左腕を、その子分の右腕を切り落とす。
このシリーズで最初に血が飛ぶのは、若杉が上田達の腕を切り落とす場面なのだ。
あまりに当たり前に切り落としてしまうので、こいつは、さぞ頭のネジがイカれた奴なのかと思ったが、そうではないことがわかるのは後々の話。
次に登場するのが、広能も収監されている刑務所内で、「米のメシを食わせろ」と所長に文句を言おうとして看守たちにボコられるシーン。
広能も一緒に暴れたために、同じ監房に閉じ込められる。
そして伝説の「監房内での兄弟の契り」となるのだが、そこで互いを自己紹介する時のセリフが面白い。
「わしゃあ、土居組で若頭やっとる、若杉寛ちうもんじゃ」
「前から知っとります」
まだ、暴力組織に所属していない広能さえも知っているほど、名の売れた極道だったことがわかる。
あの闇市では、相当、ブイブイ言わしていたのだろう。
兄弟分にならんか、という提案を「極道じゃないから」と辞退する広能に対しての言葉も深い。
「誰も初めっから、極道もんじゃ、言うとるかい、まぁ、わしについてこいや」
この一言で、広能は極道になるわけだ。
平気な顔をして「今から腹を切る」と決めるのもスゴイが、「わしが先に出られたら、こんなの保釈金、出してくれるところ、どこか探しとくけんのぉ」と言い切れるのもスゴイ。
その約束は果たされるのだが、結果がどうあれ、このような緊迫した場面で、他人のことを思いやれる懐の深さ、度量の大きさみたいなものを感じてしまう。
三分前までは名前も素性も知らなかった他人の、広能に、である。
兄弟分とはそうしたものかもしれない。
長老の大久保憲一内田朝雄と市会議員達との陰謀で、山守組と土居組が敵対する関係になった時に、若杉が一番に考えたことは、同じ呉に住む者同士での喧嘩はよくない、ということだ。
山守金子信雄と広能に対して、広島の海渡親分に仲裁を頼みに行くから、山守組内を抑えておけ、というセリフは、高い倫理観を持った者にしか口にはできない。
残念なことに、頭に血が登った親分、土居名和宏から破門を宣告されるという事態を招くことになる。
山守が自分の子分達にではなく、若杉に対して、土居を殺すことを相談したのはなぜか。
それは若杉が純粋な面を持っており、そうした若杉を御しやすいと山守が判断したからに他ならない。
誰が土居を殺るかの組内会議で、山守夫婦が涙した後に「こんなも、いい親分と姐さん、持ったのぉ」と言うのも若杉だからこそ、である。
坂井の鉄っちゃんが旅から戻ってきた後に、「自分の役目が終わった」と感じた背景には何があったのだろう。
土居組なき後に呉の覇者となった山守組の最大の功労者であるはずの若杉と、後に若頭となる坂井鉄也松方弘樹との関係には不明点が多い。
この二人の直接のやり取りは映画には描かれていない。
広能に面会したシーンで山守のことを「なんか怖い」というのも、根が、人を疑うことを知らない性格なのだろうということを伺わせる。
面会に来た若杉に対しての広能のセリフ「今度、出たら、兄貴についていくよ」の願いが叶えられたら、以降の戦争は起きなかったのだろう。
神原精一川地民夫を殺したのは、最後の落とし前、といった感じか。
「ところで、われがおらんようなったら、どうなるかの」
それにしても神原、のこのこと若杉の情婦中村英子についていくかぁ、普通。
学生服を着て「テンプラ、ばれんかのぉ」のテンプラは、テンプラのコロモのことか。
踏み込んだ警察官に何発もピストルを発射した時に、何人かは殺したように見える(どうでもいいか)。
次々と色んなことが起こるストーリー展開の中で、若杉が見せる愚直さ、真っ直ぐさ、男っぽさに気付いたのは、何度も第一作を観た後だ。
多くの俳優が重要な役を演じる第一作の主人公が広能昌三であるのは間違いないが、後二人の名前を挙げるとすれば、若杉寛と坂井鉄也だ。
映画製作の当初は坂井鉄也を主人公とした一話完結の物語にしようという構想があったくらいに、坂井鉄也は重要な役どころ。
それに比べて若杉寛の重要度は、広能昌三が心から頼りきっていた兄貴分であるという以外にはない。
その後に続く広島抗争には登場すべくもなく、早逝した二人の人物(坂井と若杉)にスポットが当てられた背景は何なのだろう。
今となっては想像することしかできないが、広能のモデルである美能幸三氏の思いが、脚本家笠原和夫のペン先を操った、というのは考え過ぎだろうか。
因みに私(管理人)が一番好きな若杉のシーンは、海渡組に身を寄せている広能の所を訪れた場面。
「こんなん、この家から、ちっと体、かわしとってくれんか」
「こんなん、ここへおらん方がええ」
「ワシが殺らにゃぁ、カッコつかんじゃろ」
自分のかつての親分を「土居」と呼び捨てにし、自分でカタをつけることを決意した上で、海渡組に迷惑をかける立場になる弟分を気遣っての言葉。
「あんたじゃぁ、なんぼにもイケんよ」と、親殺しを止めようとする広能にも拍手。
「盃、返した言うても、親は親じゃ。手ぇ出したら、兄貴がみんなに笑われるじゃないすか」
任侠路線とかけ離れた「仁義なき」シリーズにおいて、古き良き任侠の世界を感じさせる数少ない名場面だと思う。